初めて会ったお客様に『お宅の家の寿命はどのくらいなの?50年、100年?』とそんなことをよく聞かれます。そんなときに私はこんな言い方をしています。「50年かかって育った木なら最低50年、本当は十分それ以上に保つものです。あとは使い方や手入れの仕方でさらに寿命を延ばすことが出来るんですよと、それから一番大切なのはモノの耐久性より、家に対する愛着がいつまで持ち続けられるかの心の耐久性の方が大事なんですよ」と話させてもらっている。使い方が粗雑ではどんな家でも傷みは早く来てしまいます。確かに構造本体が木であろうが、鉄骨造であろうが、家として住めるかたちをとどめおくこと自体は、100年保つのかもしれない。しかし、それはそこに住む人たちが、その家を気に入って住み続けるという条件があってはじめて、家が50年、100年保つと言う話が成り立つのであって、現在のように25年サイクルで家を建て替えられている状況では所詮、「そんなに長持ちさせなくてもいいんじゃないの」と揶揄されても仕方がない話になってしまうくらいだ。

昔、家を建てるときには山に棟梁と一緒に入って木を伐りだし、葉枯らしで木を乾燥させ軽くしてから山から下ろして家を造ったと聞いた。伐るときにはこれは土台だ、梁だと決めていくのだろう。孫子の何代後までも引き継がれていくことを考えて一本、一本、木を選んだのだろう。多少建具が狂ってきても、床が痛んできても修理してまた使おうと思っていくのではないだろうか。日本の古くからの人が持っていた、物を大切にする心、分け合う心、慈しむ心、がモノが豊になっていくこととは逆に失われていった。何でも容易に手に入る時代は、何度でも取替えのきく時代にもなり、じっくり時間をかけ「吟味」することもなくなってしまった。結局それは回り回って本物の衰退につながった。しかし、不景気の時ほど「本物」が生まれるという言い伝えの通り、じっくり時間をかけ本当に良いものを探し、自らも細かいところまで調べてから物を選ぶという方と接する機会が増えたように思います。資源も資産も有限なんだと思い知った人にとっては、物選びを厳しくして、堅固、耐久性に優れた住まいを求めようとするのは当然の成り行きではないでしょうか。人々の目が厳しくなることは本物しか残れない時代の到来と考えます。施工数が多いのが本物なのか、会社規模が大きいのが本物なのか。個々人の本物の基準があってしかるべきで私たちが言及すべきことではないでしょう。ただ、私たちは愚直なまでに国産材という素材にこだわり、流行のない間取りや自然にとけあう外観の設計にこだわり、そして木の家を造る職人らの心意気、そしてそれら全てを施主自らが流行に左右されず厳しい目をもって選んだという自負心こそが「家の寿命」を決める要因になるのではないかと考えます。